人生を不幸にする習慣

不幸は無作為に襲ってくるものではありません

周りの人を眺めてみると、ある人はいつも楽しそうに世の中を過ごしているのに、またある人はいつ見ても不幸そうな言動をしていたりします。

よく「幸せのシワは横に出るけど、不幸なシワは縦に出る」などと言いますが、若い時期からどういった生活をしてきたかという事は、中年期以降の顔付きに表れるようになるものなのでしょう。

人の幸不幸は誰にも予測をすることができませんが、少なくとも「常に不幸である」という事はどんな人にもありません。

そもそも「幸せか不幸せか」ということは客観的には判断することができませんので、その人がどういった気持ちで生きているかということが人生の質を決める最大の要素となります。

一般論として人を不幸にしているのは他の誰でもない自分自身であったりします。
同じ出来事を見ても、それを良いことと思うか悪いことと思うかは人それぞれです。

一つ例を出して説明すると、例えばある日飲食店に入ってうどんを一杯頼んだところ、その中に蕎麦が一本だけ混入していたとします。

このときある人は「うどんを頼んだのに蕎麦が入ってくるなんてこの店の衛生管理はなってない」と怒るのに対し、また別の人は「珍しい!当たりを引いだぞ。いいことがあるかも」といったふうに思ったりします。

世の中のほとんどのことは受け取る人の気持ち次第でどちらともとれるようなことであったりします。
ですので、もし今「自分は不幸なことばかり起こっている」と感じるなら、普段からどういった気持ちで生活しているかを思い直してみてください。

否定から入るのは思考回路が否定的であるから

そういった「ものの捉え方」で考えた時に、最も人を不幸にしているのは「否定から入る」という習慣です。

どこにでもいるタイプの人ですが、何か会話をしている時に必ずそのことを否定するような言い方をしてくる事はわりとよく見かけます。

議論や討論をしているのであれば、相手の言動の間違いを見つけるというのは一つの方法ですが、例えば駅前に新しいラーメン屋ができたとか、庭先に猫が来ていたとか、そういったとうでもよい話題にまでいちいち否定から入る必要は全くありません。

なぜそうしたどうでもよいことをいちいち否定するかというと、それは思考回路が「どんなことでも悪い面ばかりを見つける」という習慣になっているからです。

物事の悪い面ばかりを探している人というのは、仮に嬉しいことがあっても、それを「幸運だった」とは思うことはありません。

たかが会話のように思えるかもしれませんが、思考の方向性が「否定」には現れているものですので、もし身の回りに不幸が多いと感じるなら、自分自身がわざわざ不幸なことばかりを探していなかったか、ということを考え直してみてください。